通訳翻訳資料館  







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通訳を初めて意識したころ 〜現在に至るまでを思いつくままに〜  

きっかけはボストン
スクールとの出会い
通訳学校
会議通訳コース
通訳の勉強
本科
それでも・・・
ところが・・・
日本の中心へ
仕事は意外な所から
これから
 

 
   


■きっかけはボストン

初めて通訳になりたいと思ったのは、大学4年も終わりころ。3年生の就職活動の時期には、英語塾の先生になりたいと思っていました。その時、進学塾で英語を教えていて楽しかったから・・・そんな動機でした。 ところが、いやいやながら行ったボストンの語学スクールでの経験が、私の進路を変える事になったのです。

入学テストでとりあえず、一番上のクラスに入学すると、日本人は一人もいません。ヨーロッパ系、スペイン系の大学進学を目指す学生ばかりのクラスで、彼らの英語力に圧倒されながらも、休み時間は下のクラスの日本人の生徒たち(生徒と言っても、みんなそのころの私の年上ばかり、25歳〜30くらいの人がオオカッタ)とおしゃべりしていました。そんな中で彼・彼女達の悩みをたくさん聞く機会がありました。

彼らの歳ともなると、社会に出てしばらくたち、社会の厳しさや、学生時代のように思うようにいかないジレンマに出会い、自分たちの人生もう一度考え直したいの・・・なんて言う人が多かった。一流企業に就職したけれど、やりがいがない。会社を辞めたい。認められない。がんばっても会社の都合で仕事がなくなる等など、社会に出る前に運良く私は社会人の切実なる悩みを聞くことができたのです。彼らは口をそろえて「やりがいのある仕事をしたい」「手に職をつけたい」「そのためには英語ができるようになりたい」と口々に言うではないですか!私は英語塾に就職するとこの意義を問いただす良い機会を得たのです。
 

■スクールとの出会い

京都の大学にいたころ、有名老舗スクールに通うことを決めました。母親が見た新聞広告をヒントに、学校を見つけ通うことにしました。通訳スクールをご存知の方なら分かると思うですが、この手のスクールには『ある程度英語に自信がある人』が入学してくるものです。通訳を目指すのですから、英語力に自身のない人ははじめからこんな学校には来ません。みんな、自分は英語ができる、と思っているからこそ、来るのです。

この学校には通訳コースとその下に通訳クラスに入れない人のためのコースがあります。私は最初から通訳コースに入学できるとたかをくくっていましたが、今なら分かりますがそんな力はないので、見事に下のクラスに回されてしまいます。下のクラスも5段階に分かれています。私が入学できたのは、英語専修3という、下から3番目のクラスでした。このクラスの2つ上のクラスに入ってやっと通訳の勉強をはじめられると知った時は、本当にショックでしたぁ。
 

■通訳学校

通訳学校はとても厳しいところです。通訳コースでなくとも、その下のレベルのクラスでも、講師が手を抜くことはありません。それに英会話スクールのような生徒=お客さんではなく、通訳学校=職業訓練校として、大人がプロを目指して通うところだとは、全く知りませんでした。高い授業料を払って、なぜこんなに怒られるのか、と授業後に悔しい思いをしたりしました。それでも大学の甘くつまらない授業に比べれば、何とも魅力的、かつ刺激的な場所でした。このスクールに魅了された私は、大学卒業後も引き続き地元の通訳スクールで学ぶことを決心しました。
 

■会議通訳コース

 やっとのことで、本格的に通訳を勉強できるコースに入ることができました。そしてこの頃から、通訳になれたらいいな、という思いが、『通訳になりたい!』へと変わってきました。「あんな先生になりたい。あんな仕事がしたい。」という具体的な目標も出てきました。
 


■通訳の勉強

通訳の勉強は難しいいけれど、とても面白いものでした。しかしあまりの厳しさに負けそうになった時もありました。そんなときでも何とか乗り切れたのは、今でもとてもよい仲間である、クラスメートの存在があったからです。授業後には必ず仲の良いクラスメートとランチをして、クラスでの反省・愚痴・夢など、長いときは2時間でも話し合いました。時に講師の先生から厳しい指摘を受けて、『通訳には向いていないんじゃないか』と悩むこともあるのです。年齢がいくら離れていても、志が同じ仲間との授業後の団欒は本当に楽しいものであり、癒しの時でもあったような気がします。

クラスの進級判定はとてもシビアで、学期末のテストの成績よりも日ごろのパファーマンスを重視するこの学校で進級できるのは、クラス14名のうちわずか1〜3名!いつも仲の良い友人グループの皆が進級できるとは限りません。でも、、誰が進級してもお互いに喜び合える、そんな仲間に恵まれてとても幸せだったと思います。みんなとは、今でも連絡を取り合って近況報告をしています。
 


■本科

私の通っていた会議通訳のコースには、本科というクラスがあります。本科は1,2とあり、2に進級すればこの学校で通訳コースの下の5クラスを講師として担当できるようになります。私はこの本科2に進む前の本科1というクラスまで進級して、一度通訳学校の会議通訳コースを休学することにしました。理由は、ちょうど結婚の準備に入ったこと、大学卒業後通訳学校でおおよそ2年間学びそろそろ働きたくなった事などありますが、正直言って、通訳学校での集中的な勉強に少し疲れがでてきたのも事実でした。

本科1に入ると何らかの形で通訳という仕事に携わる人も多くなり、クラスのレベルも上がります。生徒も学校で出されたことだけやっていれば、これ以上実力を伸ばすのは難しくなります。本科1のクラスで同時通訳の勉強にも触れましたが、ブース内に入っての通訳には私は向いていないような気がしたのもこのときでした。一度通訳学校を離れてみることにしました。
 

■それでも・・・

それでも、完全に勉強を止めてしまうのは不安でしたので、その学校にある通訳以外のクラスを取ってみたり、もう少し楽な気持ちでできる英会話学校の通訳コースに通ったりと以前のような勉強ではありませんが、とりあえず通訳の勉強をマイペースで続けようと決めました。
 

■ところが・・・

ところが、通訳学校を抜けると全く、勉強に実が入りません。このころからぽつぽつと通訳や翻訳の仕事の依頼が増えていくのですが、仕事のための勉強ができても、それ以外の勉強はなかなかできないのです。この状態はずっと続いています。

■日本の中心へ

家族の都合で引越しが決まり、田舎から東京に引越しました。通訳の需要は10倍もあるらしいと聞かされて、バリバリ仕事をする気できたのですが、現実はそう甘くはありませんでした。フルタイムで働く社内通訳の仕事のオファーは、たくさんありました。通訳学校で曲がりなりにも本科までいったということで、社内翻訳・通訳で腕を上げ、夜間の同時通訳コースに通うことを進められましたが、どうしてもフルタイムで働くことには抵抗があり、全て断りました。

単発のいわゆるスポット通訳の仕事を定期的にいただけるのは通訳歴10年のベテランのみだと聞かされて、都会でもやはりそう甘くはないことを知ったのです。やはり同時通訳ができなくては十分ではないそうです。あくまでも正社員やフルタイム就業には抵抗があったので、派遣会社数社と通訳エージェンシーに登録して仕事がくるのを待つことにしました。引越し後最初の仕事をするまでは、ずっと東京で仕事なんてこないじゃないかなと思っていました。
 

■仕事は意外な所から

引越し後初めての仕事は、一本の電話から始まりました。引越し前にお世話になったエージェンシーの支社がこちらにあることを知り、挨拶をしようと思い立ちました。あわよくば、いつかまた仕事がもらえたりして・・・なんって気持ちも確かにありましたが、まさか本当にすぐ仕事をいただけるとは思いもしませんでした。

先方の担当者は電話で話した2時間後に何と仕事をくれたのです。理由は『電話での対応があまりにも素晴らしかったから』だそうです。それに、『通訳の仕事の経験もあるんだし』と付け加え、いただいた仕事はビジネス通訳。通訳の時給も地方とは比べ物にならない・・。それからぼちぼちと仕事を他の会社からも頂いて、きままな通訳者としてお仕事があれば、させていただくという生活を送っています。これまでの通訳経験回数は数えていませんが、まだ回数で言うと50回くらいです。
 

■これから

通訳者として初めてお金をもらったのが、おおよそ2年前。こんな私でもいったんお客様の前に出てしまえは、当たり前ですが、プロ通訳者になってしまいます。通訳者の中には、無償で通訳を提供するボランティア通訳から世界的な会議で同時通訳をこなす超一流の通訳者まで、千差万別です。

それでもひとくくりに、私たちは通訳者と表現されてしまいます。お客様にとって頼りになるのは目の前にいる通訳者しかいません。お客様の前にでたら泣き言は一切いえません。責任をもって仕事をまっとうし、報酬以上の仕事をして喜んでいただきたい!少しでも良い通訳ができるように・・・・・努力を続けたいと思います。

気持ちの上では、日々の努力が大切だと分かっていても、怠け者の私はなかなか思うように勉強できないことが多いです。このホームページはそんな自分をなんとか奮いたたせる為にも作リ始めました。